泰亨車−東六軒町が山車蔵から引き出されたところ

泰亨車(たいこうしゃ)−東六軒町

泰亨車は、1805年(文化5年)に当時の豪商・箕浦信也(綿問屋)等が私財を投じて製作したものです。その後、改良を重ねて現在の豪華な山車の姿になったといわれます。

からくり人形

からくり人形が演じる筋書きは、牛若丸が鞍馬の僧正ヶ谷で僧正坊に剣道の稽古をうける様子を演じられます。凄い面相の僧正坊に対して、女性的な牛若丸が対照的で、その牛若丸が木葉天狗に打ち勝ち、薙刀をキリキリと廻して勝ち誇るところが見所。泰亨車

前人形

東六軒町には、1733年”享保18年林和靖出来”と記された前人形があります。どの山車や人形よりも古く、また寛政8年(1796)に鬼頭二三が骨組みを作ったとも書いていります。更に、台の裏に”人形師吉田治郎八”がつくったとあります。従って、山車の前人形を東六軒町が1802年(享和2年)から1812年(文化9年)の間に買い入れたと推察できます。その後、1849年(嘉永2年)に箕浦信也が新たな前人形をつくったため使われなくなったといいますが、現在も殆ど傷がなく、出来映えもなかなかの秀作のようです。

大幕

大幕は下の写真では赤い幕の部分ですが、代用のものです。本来の泰亨車の大幕は、名古屋市博物館(電話:052-853-2655)に保管されているように歴史的文化財となっています。

下絵は、豪商・箕浦信也が四条派の画家・張月樵(ちょうげっしょう)を鞍馬山に伴って深山幽谷の景色を写生したもので、古木の杉が生い茂る渓谷に二匹の鹿が経っている情景を見事に描いています。

惜車(おしみぐるま)

宮町・唐子遊車1805年、泰亨車がつくられると同時に早瀬長兵衛によって製作されたといわれています。

名古屋東照宮あたりに唐子遊車という山車があり、残念ながら、太平洋戦争の名古屋空襲で焼失してしまいましたが、同じ惜車が取り付けられて町内を巡行する様子が尾張名所図会に残っています。

惜車の仕掛けは手が込んでおり、からくりが演じる舞台を二本の綱を歯車で巻き上げたり、戻したりして上下に動かします。歯車の銅には横軸が渡されて山車に取り付けます。横軸から張り出した細木に歯車を填めこみます。
すると、あたかも背景となる大幕に描かれた鞍馬山に日輪が眩しく輝いているようです。

その他

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