小田切春江 画

小田切春江 画

尾張西枇杷島まつりが行なわれる西枇杷島とはどんなところなのでしょうか。
小田切春江が西枇杷島を象徴する、枇杷島橋琵琶島嶋の故事青物市を描いていますので、一部を抜粋してご紹介致します。
なお、尾張名所図会は、愛知県郷土資料刊行会[1970.5刊]版とブックショップ[1995.8刊]版があり、いずれの図書も愛知県図書館に所蔵されています。

枇杷島橋−小田切春江 画

枇杷島橋界隈は七勝八景といわれるほど絶景の地であったといわれます。向うに見える城が名古屋城で、高い建物がない江戸の時代は名古屋城からさぞ周辺が眺望できたのでしょう。ところで、七勝八景とは、@東に望む名古屋城 A堤の B青物市(下小田井の市) C水辺の納涼 D長橋の明月 E清音寺の鐘 F中島の暁雪 G小田井の煙雨 なのだそうです。

あの松尾芭蕉もこの地を訪れた折に句を詠んでいます。
市人よ いで是れ売らん 雪の笠 (芭蕉句撰)
市人よ この笠売う 雪の笠 (野ざらし紀行)

琵琶嶋の故事−小田切春江 画

1889年(明治22年)に下小田井村と小場塚新田村が合併して、西枇杷島町が誕生し、新たに清須市(平成17年7月7日合併)となるまで続きましたが、引き続いて西枇杷島町の文字が使われています。

では、「びわじま」と呼ばれることになったのでしょうか。
@ かつて庄内川にあった中島の形が楽器の琵琶に似ていた。
A 昔、枇杷の木が多い地域であった。
B 1179年(治承3年)、太政大臣藤原師長と娘の悲恋の物語に由来する。
というもので、この中でBが有力だとされています。

藤原師長と娘の悲恋の物語

藤原師長と娘の悲恋の物語は、江戸時代には有名な悲恋の物語のひとつで「金鱗九十九之塵」「塩尻拾使」「尾張徇行記」「尾張雑記」をはじめとして多くの文献に紹介されています。
[要旨] 藤原師長との恋に落ちた娘は、師長との別れから悲しみのあまりに師長の形見である琵琶を抱いて庄内川に身を投げた。哀れに思った村人たちが、その亡骸を探し出して琵琶と共に埋めて塚を作った。

青物市−小田切春江 画

青物市とは、枇杷島市場のことで、古くは下小田井の市といいました。庶民の食を支える市場の様子を伝えています。ちなみに、右下のダイコンを抱えるお兄さんを題材に旧西枇杷島町のモニュメントが作られました。残念ながら、現在はコンセプトと違う場所に移設されてしまいました。

サイトMENU

Copyright (C) 2008 尾張西枇杷島まつり|愛知県清須市. All Rights Reserved.