山車本体の周囲を覆う大幕は、それぞれの歴史や謂れを持っています。
大幕は、曳初め(初日)が紺色の仮幕、本祭(本楽、当日)に取り付ける大幕を本幕といい、は猩々緋。町名の『橋詰町』の文字は、尾頭広居の筆。→ 『王義之車−橋詰町』へ
大幕は土佐派の画家・渡辺清の下絵に基づいて、猩々緋に月の刺繍が施されています。正面には『問屋町』の文字が描かれ、丹羽盤桓子によって書かれたものです。
尾張藩第十代藩主・徳川斎朝公は度々上覧されたといわれ、この奇抜な大幕のデザインは斎朝公好みだったとされ、左右に高張提灯を掲げており、『御幕附』と記されています。→ 『頼朝車−問屋町』へ
留め金にも、千鳥や鯱などをあしらっており、デザイン性も優れています。
第十代尾張藩主・徳川斎朝公が尾張西枇杷島まつり上覧の折、お囃子が上手であったことへの褒美として、紅塵車に紫色の幕をつけて曳行してよいとの許可が出たといわれ、大幕は濃紺(紫)を使用しています。→ 『紅塵車−西六軒町』へ
腹巻きや大幕の留め金などにも『鉞』が使われています。→ 『頼光車−杁西町』へ