尾張西枇杷島まつり

問屋町・頼朝車

問屋町は、江戸時代には江戸の神田、大坂の天満と並んで三大青物市場と称された下小田井の市の中心として栄えた町で、その繁栄を背景とした豊かな財力から立派な山車が残されています。

問屋町の頼朝車と橋詰町の王義之車は東海道本線をくぐるのは西枇杷島町町制100周年を機に行われるようになった5年に1度の5両揃えの時に限られています。平年は東海道本線の手前でとどまることになります。

尾張西枇杷島まつりの五両の山車の中で、問屋町にだけ木遣り・曳出しがあり、山車を曳き出す前に謡われます。
種類/演奏・謡の時
【木遣り・曳出し】
→ 山車を曳き出す前
【曲場】
→ 方向転換をするとき・車切を早く演奏
【車切】
→ 道行きの曲・帰り車には片車切(狂言神楽)を用いる
【中神楽】
→ 道行きの曲・名古屋の神楽と同じ曲
【八兵衛神楽】
→ 中村区紅葉狩車の唄神楽と同じ曲


◆ からくり人形

名古屋を代表する人形師のひとりであった隅田仁兵衛真守によって作られました。
大将人形・・・源頼朝(源二位)
静御前(白拍子)
畠山重忠(臣下)
前人形
◆ 野風炉(のぶろ)

山車運行の休憩時に頼朝車の前方に、野風炉(のぶろ)と呼ばれるお茶の一式と椅子が置かれることがあります。

野風炉とは、野点(のだて)に使用する釜など茶道具一切を収めたもので、問屋町に伝わる宝永8年(1711)に制作されたものです。


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