尾張西枇杷島まつり

杁西町・頼光車

もともと天王社の祭りとして始まった西枇杷島まつりに、伊藤某の口利きで氏神を神明社(二ツ杁)とするとする杁西も西枇杷島まつりに加わることとなりました。

頼光車の製作は他の4町内に比べると70年程遅れた明治4年(1871年)の完成です。


◆ からくり人形
杁西のからくり人形は、明治3年から4年にかけて当時の人形師・名古屋若宮横町の浅野新助をはじめとした浅野一統の人形師の手によって作られました。

からくり人形の題材は、源頼光が足柄山で金太郎(のちの坂田金時)に出逢い、彼の力自慢を見て家来の四天王のひとりに加わったという故事に因んだものです。

からくり人形の所作は、坂田金時が、岩を頭の上に高々と差し上げて前方に投げると、熊が驚いて茂みから飛び出てきて、右に左にと逃げ回り、これを金時が追い回すというものです。金時の動きが激しいために損耗が進み、平成11年玉屋庄兵衛の手によって新調されました。

からくり人形の見所
頼光車は、坂田金時が岩を担ぎ上げて車外に投げ飛ばすとことが、一番の見所です。山車の外にものを投げるからくりとしては、知立市の西町や知多市岡田の里組などにも見られてり、また、東海市交通組の弓矢を外に射るというものにとどまります。

ちなみに、投げ出された岩に触ると病気せずに、元気に育つという御利益があるといわれます。


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