尾張西枇杷島ま200

橋詰町・王義之車

橋詰町は、枇杷島橋の袂から美濃路を北に分かれた岩倉街道沿いにあります。文字通り”橋詰”にあるわけです。

ちなみに、橋詰町の王義之車と西六軒町の紅塵車は、詳細は不明ながらも兄弟山車だといわれています。王義之車の屋根の妻飾裏に「享和二年・・・伏見町壱丁目大工森藤九郎住永作之」と記されており、一方の紅塵車の高欄箱・破風箱・八 箱の蓋裏に「壬戌享和二年春・・・・大工森藤九郎住永作之・・・」とあるからです。


◆ からくり人形

中国の三大書家のひとりである王義之を中心にして、二人の唐子を配しています。

大将人形:
王義之で、文化9年の永尾順延作。

唐子人形:
2体の唐子人形は文政8年の脇田七右衛門作。

前人形:
前人形は文化10年の脇田七右衛門作。

人形は、中段に前人形の裃(かみしも)を付けた前髪姿の若侍(采振り人形)、上段の前方には右に団扇太鼓を持った大唐子と左に飾り台の上に乗り撥を持った小唐子を配し、その中央に軍配団扇を持った王義之があしらわれています。

五両の山車のうち、この山車だけが唯一差し金を使った離れからくりになっています。

◆ 演目の見どころ

小唐子が大唐子の右肩に飛び移り、逆立ちしながら大唐子の団扇太鼓を右手に持っている撥(ばち)で打つところ。二体の人形を差し金を使って一体にするように操るのが大変難しく、人形方の見せ所です。


◆ 大幕と人形台

王義之車では、曳初(初日)の日は紺の仮幕、本祭は猩々緋の本幕を用います。前面に見える「橋詰町」の文字は刺繍されており、王義之流のもので尾頭広居の筆によるといわれます。

また、人形台は”王義之が鳥の足跡から書法を考えついた”という故事になぞらえて鵞鳥が彫られています。


前へ|TOP|次へ