尾張西枇杷島まつり五両の山車
尾張西枇杷島まつり五両の山車

「尾張西枇杷島まつり」の概要

ダイコンを担ぐ尾張西枇杷島まつりは、愛知県清須市西枇杷島町の西枇杷島本通り、即ち旧美濃路で行なわれます。現在のように6月第一土日曜日に催行されて数十年が経ちます。

五両の山車が曳き廻され、二百軒を超える露天商が美濃路沿いにぎっしりと並びます。人出は2日間で20万人ともいわれ、特に土曜日の夜は数百発の花火が打ち上げられ身動きが取れないほどです。

平成12年9月12日には東海豪雨水害が発生し、本通りを除く大方の地域では甚大な被害を受けましたが、その影響で庄内川にかかる枇杷島橋やJR東海道線や東海道新幹線の鉄橋の架け替えなども行なわれる計画で、それらの工事の影響で町の様相も既に大きく様変わりしています。
尾張西枇杷島まつりへの影響も少なくなく、その歴史や今日の様子などをレポートします。尾張西枇杷島まつりの山車

五両の山車

今日は、橋詰町の王義之車(おうぎししゃ)、問屋町の頼朝車(よりともしゃ)、東六軒町の泰亨車(たいこうしゃ)、西六軒町の紅塵車(こうじんしゃ)、杁西町の頼光車(らいこうしゃ)があります。

山車は、名古屋型と呼ばれる二層外輪のもので、前棚に前人形が据わり、上山に三体のからくり人形が乗せられてからくり技を観衆に披露します。

名古屋型の山車は名古屋東照宮の祭礼に曳き出されたものですが、残念ながら第二次大戦で名古屋東照宮に曳き出された山車は焼失してしまいました。このため、尾張西枇杷島まつりの歴史は名古屋東照宮の祭礼の形態を引き継ぐ数少ない祭のひとつとなっています。屋根神様

美濃路とは

尾張西枇杷島まつりは、美濃街道の旧西枇杷島町地域で行なわれます。美濃街道は美濃路とも呼ばれ、今日の熱田神宮近くの熱田を起点として美濃(岐阜県)の垂井を結ぶ脇海道、即ち東海道と中山道を結んだ道でした。

慶長6年(1601)には徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利を収めた折に美濃路を凱旋したともいわれています。また、海上を通らず危険が小さいということから大名の参勤交代の際に利用されたり、女性も好んで利用したといわれいます。

枇杷島市場

西枇杷島本通り入口には300年余の歴史を誇った枇杷島市場が栄えました。

枇杷島市場は、当時「下小田井の市」などといわれ、1600年代初期に始まったといわれます。清須越しのちょっと後ということになりますね。
後に江戸の神田、大坂の天満と並ぶ日本三大市場として栄え、その経済の繁栄は地域の文化や芸術、教育などにも大きな影響を与えています。

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